幸せになるために優先すべきは「自分」~職場の対人関係を例に~

幸せになるために優先すべきは「自分」~職場の対人関係を例に~ ユルい哲学

職場でどうしても合わない人がいて悩んでいませんか?

なぜ、同じ人間なのに不和が生じるのでしょうか?

筆者は老健で勤務し、介護や入所相談、施設の運営管理を行ってきました。

気づいたことは「なぜ、介護職の離職が多いのだろう?」ということです。

最初は「賃金が安いからだろう」と安直に考えていましたが、それだけではないようです。

離職原因の多くは「対人関係」にあります。

解決策は自分自身の中にあります。見方次第で気にならずに済みます。

多くの人は1日のうち約8時間働きます。つまり、1日のうち約3分の1を職場で過ごすことになります。

職業選択は人生において重要な選択だと言えるでしょう。

モヤモヤ考えているときに手に取った本が「幸せになる勇気」です(以下、「本書」といいます)。

アドラー心理学者である「哲人」と中学校の教師をしている「青年」による対話形式で、難解なアドラー心理学を比較的わかりやすく解説しています。

リンクを貼っておきますので、興味のある方はご覧ください。

岸見一郎・古賀史健著『幸せになる勇気~自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ~』(2016年、ダイヤモンド社)

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聞く読書もあります。

本書を参考にして、職業と幸福についてユルく考察したいと思います。

考察というよりは、ブログ運営者ゆうすけの所感が占めてしまうかもしれません。

初めて読む方にとって読みやすい記事を心掛けます。

少しでも興味があれば、お付き合いください。

この記事を読めば同僚や上司に対する接し方を変えることができ、職場での対人関係を改善することができます。

「自立」した職業人は相手を「尊敬」することから始まる

先輩職員
先輩職員

あれやっといて!

ほらっあれだよ

…おっそいなぁ(怒)

後輩職員
後輩職員

「あれ」じゃ分からないよぉ

同僚から雑に指示されて不愉快に感じたことはないでしょうか?

特に入ったばかり1年目の方であれば、心当たりはあると思います。

職種の関係、例えば看護師が介護職へ指示するような場面もそれです。

職種による上下関係はないはずなのに、「どっちが偉いんだ?」と言い返したくなることも……

組織を形成している以上、先輩・後輩の関係や職種の違いで上下関係が生じるのは避けられないようです。

不愉快に感じつつも、ぶつかっては角が立つ。

筆者はこんなとき、トラブルを避けたいため、相手の言うとおりに行動していました。

これが「自分が変わる」ことなのかと考えていました。

しかし、それは間違いでした

対立を避けるために相手の言うことを聞くのは相手に従っているだけなのです。

これはこれで新たな問題を生じます。

相手は従属関係に入った人間を使い続けます。エスカレートして新たな要求をしてくるでしょう。

では、どうすればよいのか?

もちろん、相手を変えることはとても難しいことです。

結論、「自分が変わる」のですが、正確に言えば「ものの見方を変える」ことです。

例えば、使っていたメガネを変えるようなものです。

メガネを変えると違った見え方になりますね。

本書は中学校の教師をしている青年が、言うことを聞かない生徒を叱り・ほめることが必要だと主張しました。これを哲人が全否定します。

先生と生徒は教え、教わるという関係です。それは現代も変わりません。

しかし、問題は先生の生徒に対する偏見にあります。

哲人はこう言います。

子どもたちの問題行動を前にしたとき、親や教育者は何をすべきなのか?アドラーは「裁判官の立場を放棄せよ」と語っています。あなた(青年)は裁きを下す特権など与えられていない。法と秩序を守るのは、あなたの仕事ではないのです。

(中略)今あなたが守るべきは法でも秩序でもなく「目の前の子ども」、問題行動を起こした子どもです。

本書より引用

先生が生徒を尊敬すること、つまり「対等な存在として接すること」が、両者の信頼関係に必要だと。

生徒からの感謝を期待するのではなく、「自立」という大きな目標に自分は貢献できたのだという貢献感を持つ。貢献感の中に幸せを見出す。それしかありません。…幸福の本質は「貢献感」

本書より引用

自分が相手に貢献していると実感すること、これは言い換えれば、「自己満足感」ではないでしょうか。

相手に感謝を期待すると「なぜ、言うとおりにしたのに礼も言わないで嫌な感じ!!」と憎しみ(に近い感情)が現れます。

相手に何も期待せず、自分が「必要なことなのだ」と納得して行動すれば相手も傷つかず、自分も「相手のためになることができた」と満足することができるのですね。

相手のためではなく、自分のために行動する。ゆうすけはこれを「自己満足感」と呼んでいます。

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人間はひとりで生きることはできない

「すべての悩みは、対人関係の悩みである」

そもそも、相手がいなければ争いも起きないのでは?

本書では人間はひとりで生きることはできないとあっさり結論付けています…

…「喜び」もまた、対人関係から生まれるからです。

嫌なことも嬉しいことも両方そろって初めて「対人関係」なのです。

どちらかを切り捨てて、どちらかを生かすことはできないようです。

人として生まれてきた以上、対人関係からの悩みから逃れることはできないのでしょうか?

前章では相手に対する「貢献感」により自分が「自己満足」することを述べました。

結局他者を排除して自分のことだけを考えて生きると、この「貢献感」が得られません。

結果、むなしくなってしまいます。

周囲に貢献できる環境があるほうが、自分のためにも良いのです。

自分のために相手のことを考えて行動するわけですが、

このとき気を付けたいことがあります。

「自分を置き去りにして、相手のために行動しない」ということです。

本書では次のように定義しています。

  • 「わたし」の価値を誰かに決めてもらうこと = 依存
  • 「わたし」の価値を自らが決定すること   = 自立

例えば、

上司や同僚から高い評価を受けるために、仕事を成し遂げるのは「依存」

自分の意志で仕事を成し遂げることによって、自分が満足できるのが「自立」

このように解釈できます。

労働者ができるマネジメントについて記事にしました。こちらをご覧ください。

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最終形態は自分でも他者でもなく「わたしたち」

「私は誰かの役に立っている」という思い込み(貢献感)があれば幸せを感じることができます。

しかし、自分と相手を幸せにして終わりではありません。

本書では最終形態は「わたしたち」(WE)の幸福にあると主張します。

アドラーは欲張りです(笑)

自分が相手を「信頼」することにより「わたしたち」の幸せを叶える。そのために「愛」が必要だと。

本書は「愛し、自立し、人生を選べ」という哲人の言葉で締めくくられています。

宗教のように聞こえてきますが、そうではありません。

すべての結果は自分自身にある。

自分を責めるという意味ではありません。

自分が相手を信頼しなければ、相手は自分を信頼することはない。

「信頼」とは無条件である。これが「愛」であり、「尊敬」であり、「自立」です。

最終形態を理解するのはなかなか難しくなってきました…(汗)

ゆうすけは「まず自分を大事にしよう」と決めています。

なぜなら、アドラーが言うように、

「自分」がいて、初めて「相手」のために行動できる。

多くの「相手」を幸せにすることによって、「わたしたち」という共同体の幸せを叶えることができると考えたからです。

まずは「自分」の貢献感を大切にしたいです。

自分との対話について、ぜひこちらの記事もご覧ください。

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働くことについて記事を書きました。ぜひご覧ください。

まとめ

主に職場での対人関係の悩みについて考察しました。

相手に対する貢献感が尊敬に発展し、信頼につながります。

まずは相手を信頼することから始まります。

「無条件」というのが、ハードル高いです。

まずは、無条件に相手を信頼してみるところから実践してみましょう。

何か変化があるかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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